人生は素晴らしい
というわけで今日も今日とてクラナド鑑賞。15時から20時までの約5時間ほど、ことみ編終了まで。私は1期の風子編しか見てないので、実質初見でした。ヴァランに感謝。流石に風子編ではある程度耐性がついてたけど、ことみ編はダメだった(TдT) 仕事で忙しい親を子が嫌う→親死ぬ→トラウマ的後悔→親の愛を知って救われる……とか物凄く良くありがち過ぎるプロットだけど、あのストーリーと演出で泣かない方がむしろオカシイ。さて、今後も楽しみだぞ~!! Afterまで全部観ちゃるぞぃ!!!
そういえば今回の鑑賞では収穫もあった。以前からクラナドに感じてた違和感の一端。そういえば私が高校進学先を選んだとき、その高校の文化祭の演劇の舞台に立ちたくて選んだのを思い出した。その高校の文化祭は全てのクラスが演劇をやり、出来栄えと集客数を互いに競い合い、そしてそれを何より楽しんでいた。そんな舞台に私も立ちたくて入って、結局1度も舞台に立たなかった。3年間助監督をやっていた。役職があっても、それに付随するはずの発言権や指導権は必ずしもあるとは限らず、自らそれらを認めさせることの重要性を認識したのはここからだった。裏方をやったり、練習で代役をやったりして、集団を動かすノウハウや一人ひとりの個性の生かし方を学んだ。そんな3年間がなければ今の自分はいないと納得し満足してたけど、でも一方でこんなにも気にかかっていたとは。筑駒の校舎といい、なんだかんだで引っ掛かる要素が多い。今後もゆっくりと、こうした燻りを探していくとしよう。
そいやオフセの料金について、荒れましたね(;´∀`) 私ゃオフセ描きませんし5年なんで、3年以下が納得できるやり方ならそれで良いのですけどね。ただ一つ言えるのは「政治」が稚拙なんだよね。なんか意見言っても、同意見同士のヒソヒソ話程度。最後の最後になるまで対立意見との意見調整をしないまま。そんなだから極端な意見同士のままでぶつかるんだよ。根回しって言葉知ってるのかなぁ。自分の意見通したければ、予め相手の意見も織り込んだ折衷案を用意して、決定会議の前に意見を浸透させとけば良いのに。不器用は組織において害になりかねないよ~。
そして唐突ですが「評論誌計画」発動します。オタクコンテンツに関する評論文、学術研究論文、大学レポート、コラムなどをSF研でまとめて、冬コミで発刊したいと思います。SF研の存在意義がどこにあるか。小説は文芸部、マンガは漫研、イラストは美術部がある。無論それらを包括する存在としてのSF研にも意味はある。でもSF研にしかできないことはないのか。そう考えたときに、消費側に立ったオタク学研究という立ち居地が思い浮かびました。生産オタクに対する消費オタクは、オタク・ヒエラルヒーの底辺。しかし文化史上において生産側を客観的に捕らえ、分析・評価し、歴史に残してきたのは消費側ではなかったか。生産能力・手段・技術を持ちえずとも、消費者として感性から作品を評価したり、類型したり、論ずることはできる。その辺にSF研の今後の活路があるのでは、と晩酌しながら思ったのだw ……まぁ、卒論の役にも立つだろうしね。
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